ヘナと縮毛矯正専門店Veneziaオーナー藤田雄太

プロフィール

  • 出身:福井県丸岡町
  • 生年月日:1989年12月27日
  • 趣味:バイク、バスケ、散歩、海、旅行
  • 特技:ショートやボブの専門、運が強い、ラオス語少し喋れる

経歴

現在は、ヘナと縮毛矯正専門店Veneziaオーナー兼、フリーランス美容師として他の店舗で営業しています。

少し長くなりますが自己紹介をしていきたいと思います。

福井県坂井市丸岡町で生まれ育ち、小学1年から6年まで書道を習い、小学2から高校2年生の約9年間バスケをしていました。

高校は福井商業に通っていたので個人事業主としてやって行く際も役に立ち、帳簿つけのサポート行っています。

高校卒業後は、都会に出たくて大阪の高津理容美容専門学校に通い男子寮で生涯家族ともいえる仲間が出来ました。

専門学校を卒業後、ミーハーな自分は表参道にある美容院に就職しました。

ですが、都会の美容室の洗礼を受け半年後にはしんどくて辞めて地元に戻りました。

帰省後、福井の美容室に就職しそれなりに美容師として働いていました。

中学生のころから世界に興味があり、世界一周するのが夢で奨学金の借金がなくなってお金が貯まったらいつか世界に行こう!

と思いながら普段の営業をこなしていたのですが営業が忙しくなるにつれて世界どころか国内旅行に行く事すらもままなりませんでした。

第1ターニングポイント

2017年10月に転機が訪れました。天気も良く外の薔薇たちに水やりをしていた際に突然

「あっ、海外行きた過ぎる」

という思いが膨れてしまい、その衝動のままオーナーに伝えました。

その一週間後に、当時旅人美容師として世界を周った桑原淳さんに話を聞きに行きました。

話を伺うと世界一周する事は良い事だけど、日本に帰ってきてからの事も考えないといけないよ。

とアドバイスをもらい、その話の中でフリーランスとして働く事を教えていただきました。

桑原さんには現在も専門店Venezia関連でとてもお世話になっており、今回のお店出店の火付け役になっていますのでその話はまた後に。

フリーランスで営業し、ある程度お客様がいれば帰国後にも仕事がゼロになる事もないし臨機応変にいけるよと。

この話をもらってすぐ勤め先のオーナーに

「やっぱりしばらくはフリーランスでやります!」

と告げ、2018年にはフリーランス美容師として活動する事になりました。

福井にフリーランス美容師はほとんどおらず、自己集客もホームページでしていたので営業後にブログを書く。

お店というブランドがなくなり個人としてブランディングをする必要があり、ショートとボブの専門店としてぼちぼちと始まりました。

フリーランス1年目はやることが全て初めてで助言頂ける人も居なかったので全て一人。

充実した1年間を過ごしていたのですが、ある日大事な事を思い出しました。

世界を周りたくてフリーランスになった。
確かにいつでも休みは取れるようにはなったけどフリーランスの方が忙しくしてどこにも行ってない・・・

自由な旅をする為に働いたら自由が無くなってた。

昔読んだ漫画のセリフで、

「怠惰を求めたら勤勉にいきつく」

という名言もついでに思い出しました。

これでは一生旅に出れないとモヤモヤしていた際に、美容ディーラーからとある誘いを受けました。

ラオスに美容ボランティアに行きませんか?

第2ターニングポイント

美容ディーラーからお誘いを受けスケジュールも空いており、ボランティアだからお客様にも休みの説明がしやすいという理由で参加することに。

一回海外に行ってみれば気持ちの整理もつくだろう。

そんな思いも片隅にいながらいざラオスへ。

日本からの直行便が無く、ベトナムのハノイ経由でトータル9時間。
約9年ぶりの海外にワクワクが止まらず関空の際には半袖半ズボン。ちなみに2月です。

飛行機から見る海や大陸の景色にもワクワクがとまらず結局は到着まで眺めていました。

そして、初の東南アジア。空港に到着した際の第一印象は、

「小松空港にそっくり」

親近感と共に亜熱帯特有のむせ返るような暑さ。

空港から出たらそこは異世界。

自分の全てがすっ飛びました。大人になり、なんでも手に入る世の中で、今までの自分はいったい何に満足していたのだろか。

肌に纏わりつく空気、匂い、口に入る砂、歩く感触、全てが新鮮で子供の頃の感覚を思い出しつつも、もしかしたらそれ以上感覚に襲われていたのかもしれません。

空港から一歩外にでた瞬間、海外に行く事を決意しました。一周するのか、定期的にあっちこっちと旅行するのかはわからないけど、この感覚をもっともっと味わいたい。

ラオスボランティア

ボランティアの内容は聾唖学校で子供たちの髪を切る。職業訓練校でカットを教える。この2つが今回のテーマでした。

聾唖学校では炎天下の中、子供たちの髪を切りまくり15人は切ったと思います。

子供たちもとても可愛くまともに髪を切ってもらえていないせいか大変身した際の喜び方も大きく、美容師で良かったなと思えた瞬間でもありました。

その夜はラオス料理を食べに行ったのですが、その際にたまたま日本からボランティアでラオスに定期的にきている東京の美容師さんと食事する事に。

その方も、数年前から個人的な付き合いからラオスでボランティアをする事になりずるずると今日に至ると。

その頃には既にラオスのとりこになっていて再度ラオスに来る際にも何かしらのボランティアと合わせて来れると良いよねって思い東京の美容師さんと繋がりました。

結果を先に言いますと、その年に更に2回ラオスに行きました。

そんなこんなでラオスのボランティアは怒涛のように終わり、僕の心の中では3か月後にラオスに行く事を決めていました。

帰国後・・・

 

帰国後、僕の心の中は穏やかではありませんでした。あの刺激が欲しい。

とりあえず、ご縁もあったからまたラオスに行こう。

今度は個人的にプランをたて約5日間の旅行を計画し、ボランティア先ともアポイントをとり細かい事は現地に着いてからにしようと。

その他にも、いろいろ行ってみたい。長期の休みは難しいのでアジア周辺を攻めようと思い、結果はマレーシア、グアム、ウラジオストクと2泊3日で行きました。

この旅行に関しては、趣味なのでVeneziaでお会いできた際に聞いてください。

2回目のラオス

一回行った場所だから一人でも余裕だと思い飛行機のチケットから、宿泊場所まで全て自分で手配しました。

ホテルに到着後、少し疲れていたので近くのマッサージ屋さんで施術を受ける事になったのですが、このマッサージ屋のラオス人姉妹たちともその後交流があり英語とラオス語を取得するきっかけにもなっています。

翌日、ボランティア先のNGO団体ADDPさんが経営する障がい者を支援するカフェと美容室が併設する施設へ自転車で。

この時にも10数名の髪を切る事になりました。

カット後、ADDPの代表の女性の方と日本語が話せるラオス人の子達と食事に行く事に。

食事中、ラオスの歴史や環境問題、社会福祉の問題など様々な事を聞き、日本がとても豊かで済みやすい場所なんだと知る事になりました。

翌日は、少し観光も兼ねて繁華街やメコン川、観光施設にも足を運びました。ボランティアをしながらなのでラオスの田舎の方には行けていないのですが、都市でも十二分に自然を感じる事が出来ました。

こんな綺麗な場所を、なくしてはいけないという気持ちも生まれ始めていました。

そして、自然と共に生きる。なんて人間らしい生活なんだ。日が昇ったら起き、お腹がすいたらご飯を食べご飯を買う為に働く、そして暗くなれば晩御飯の準備。

そこに時間の概念なんてなく、縛られなくても生きて行けるもんなんだなと。いつかはしてみたいそんな生活。

この2つの想いが2回目のラオスで自分の心の中に刻まれました。

後半へ続く。